《スーパー耐久コラム》「歴史は財産」 第1回

 

1991年、最初のレースも、実は1月に開催されていた!!

本来ならば、3月22~23日に鈴鹿サーキットで幕を開けるはずだった、2020年のスーパー耐久シリーズですが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大によって延期が余儀なくされ、そればかりかスポーツランドSUGOでの第2戦、そして24時間レースとして開催される、富士スピードウェイでの第3戦も延期とされてしまいました。
しかし、徐々にコロナ禍も収束の方向に向かいつつあり、もちろんまだまだ油断はできませんが、ようやくスーパー耐久も新たなシリーズスケジュールが発表できるまでに至りました。
ただ、第4戦のオートポリスも延期されたこともあり、実際の開幕戦を迎えるまでにはまだ時間を要します。
それまで待ちきれない、という皆さんにこういう機会ですから、スーパー耐久の歴史を知ってもらいたいと思います。

 

2020年の新たなスケジュールは、もうご覧になっていただいたと思います。
その中で、特に興味を引いたのは、最終戦を鈴鹿で、2021年の1月に開催することではないでしょうか。
近年はWECなどで、スーパーシーズンとして年をまたぐことも少なくないので、そのこと自体には違和感はないと思われます。
ただ国内レースが寒い1月に開催されるとなると・・・。
実はルーツである、N1耐久ラウンドシリーズの最初のレースが1月に開催されていたのです。
1991年の1月19~20日には、もう行われていました。
もっとも、この時代は1月のレース開催は、決して珍しくはありませんでした。
バブルの時代ですから、とにかく全国各地のサーキットで数多くのレースが年間に開催され、スケジュールが過密にならざるを得なかったのでしょう。
ただ、「やむなく・・・」というより、新たに立ち上げたシリーズを、少しでも早くお披露目したいという思いもあったのかもしれません。

どうしても1月といえば、降雪の心配がありますが、幸いこの時は青空の下で激しいバトルが繰り広げられました。
そうそう、この時はエンディングが壮絶でした。


写真提供:はた☆なおゆき

 

トップを行くコニカ・ファルケンGT-Rの原貴彦/清水和夫組に、終盤に入ってZEXELスカイラインの都平健二/木下隆之組が迫っていくという展開で、一時は30秒ほどあった差を5秒にまで詰めていったのです。
なのに、残り3周というところで、ZEXELスカイラインが突然ストップ。
ターボトラブルが原因でリタイアを喫してしまいました。


写真提供:はた☆なおゆき

 

でも、トップから3周差ならば「完走扱い」と思うでしょうが、当時からN1耐久は「チェッカー優先」のレギュレーション!
その最初の餌食となってしまった格好でした。
なお、この頃は4つのクラスで競われ、3001cc以上の車両はクラス1と称し、GT-Rがメインのクラスでした。

 

1601~3000ccの車両がクラス2。
ただ、最初のレースではジェミニが1台出場するに留まり、その1台もリタイアを喫していました。

 

1301~1600ccの車両で競われるクラス3はシビックが絶対的な存在で、最初のウィナーとなったのはチーム・フジワークの前川直典/友森茂利組。

 

1300cc以下の車両によるクラス4はシティとカルタスによる一騎討ちが繰り広げられており、この時はホンダロデオBSシティの藤本邦彦/塚原久組が優勝を飾っています。

 

ちなみに1月開催の鈴鹿N1耐久は、翌92年にも開催され、ともに天候には恵まれたのですが、これより数年前だったでしょうか、鈴鹿で違ったレースをやはり1月に開催し、雪にこそ見舞われずに済みましたが、早朝に路面が凍てつくほどの寒さだった年があったのです。
そんな状況でしたから、フォーミュラカーのインテークが凍って塞がれてしまい、エンジンが息つきを起こしてしまうということがありました。
3年目となった鈴鹿のN1耐久は3月の開催になりましたが、最終戦と開幕戦という違いはあれ、30年の月日を経て1月開催復活というのは、偶然ではないような気もします。
(つづく)

(はた☆なおゆき)

 

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