《スーパー耐久コラム》N1耐久誕生以前。ルーツは筑波にあった

 

N1耐久ラウンドシリーズがスタートする1年前の1990年に、プレシリーズとして量産ツーリングカー耐久フェスティバルが開催されていました。
これは全国のサーキットで行われていた、N1車両による耐久レースをまとめたもので、それほどシリーズとしての意味合いは強くなかったように記憶しています。
とはいえ、レギュレーションなどは後のN1耐久ラウンドシリーズとほぼ共通しており、礎を築き上げたのは間違いありません。
そこでの盛り上がりが確認できたからこそ、91年から正式にシリーズとしてスタートを切ることができたのでしょう。

 


筑波ナイター耐久(1987)
写真協力/三栄

 

そんな量産ツーリングカー耐久フェスティバルは、今はなき仙台ハイランドから幕を開け、富士、筑波、SUGOで開催されました。
この頃、夏の風物詩とも呼ばれ、最も人気を集めていたのが筑波のレース。
ナイター耐久とも呼ばれ、文字どおりナイトランが大半を占めるレースでした。
そしてまた、N1耐久のルーツということもできるでしょう。
初開催は85年。

今では信じられないでしょうが、それ以前の耐久レースといえば、純然たるレーシングカーが主流であり、ツーリングカーは当時でいうTS車両しか出られませんでした。
想像ですが、この頃の市販車は信頼性が十分でなく、改造しなくては長丁場を走りきることができない、とされていたのではないでしょうか。

 

そういった概念を突き崩して、ましてDOHCのシビックやハチロクなど、歴史に残る高性能車が世に出たという背景もあり、筑波ナイター耐久が開催されます。
8月半ばということもあって、スタート前にはホームストレート場で盆踊りも行われる、当初はのんびりとしたレースでした。
それでも1回目から成功をおさめたこともあって、やがて人気レースになっていき、予選落ちを出すまでに(コンソレーションとして、3時間レースあり)。
その反響を受けて、他のサーキットでもN1車両による耐久レースが行われるようになったのです。

 

ちなみに、筑波ナイター耐久は当初9時間で争われ、その後12時間レースに改められますが、最初のレースには41台が出走し、リタイアはたった1台でした。
驚くべき完走率・・・と思うでしょうが、これには理由があって、実際には3時間ごとの3ヒート制であったため。
今で言うメンテナンスタイムが設けられていたからです。

 

ちなみに、この当時のクラス区分は、ざっくり1300cc上下で2クラス。
P1300にはスターレットのKP61とEP71が、そしてP3000には前述のシビック、ハチロク、そしてRX-7が1年目には出場していました。
記念すべき最初のウィナーは、シビックをドライブする物部満喜/熊倉重春/市嶋樹組で418周を走破。

 

このレースが非常に好評だったようで、翌年のエントリーは90台に倍増します。
そのため、半分は3時間で争われるコンソレーションに回らざるを得なかったのですが、実際の申し込みは110台を超えたのだとか。
明らかに戦闘力の劣る車両には辞退してもらったという、改めて調べてみると発見もありました。

 

一気にレースがレベルアップし、連覇を果たしたシビックの熊倉/市嶋/吉田匠組は純粋に9時間連続での走行だったにも関わらず、426周もの走破に成功。
予選タイムは2秒も短縮されていました。
1周約2kmの筑波で、わずか8周増が一気に・・・とは言えないのでは、と思うでしょうが、やはりほとんどの車両がブレーキの磨耗に苦しみ、何度もパッド交換を強いられていました。
優勝チームは無交換で、安定したペースを刻んでいたことが最大の勝因となったのですから、一気といってもまったく差し支えないでしょう。

(はた☆なおゆき)

 

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